アナ

 アナはいつもクラッシュのうたを口ずさんでいる。授業中にたくさん質問をして、そのたびに手を高くあげ、先生の話をストップさせてしまう。わかるまで、たずねる。
アナはシニカルだ。ジョークもシニカルである。21才、いつもジーンズにセーターを着て、ぶどう色の長いコートをはおっている。化粧はしていないが、美しい顔立ちで、やせ型、赤毛で背が高い。アナはドイツ人だ。ベルリン育ち、医者の家系だという。本人も心理学者になりたくて、英国でのボランティア生活を終えたら、ベルリンの大学へ行き、心理学を学びたいのだそうだ。
 

 私はその当時、イングランドのメイドストーンという街に住み、パーキンソン病のおばあさんの身の回りの世話をして、少ない金額を得て暮らしていた。おばあさんはまだある程度のことはできたので、私には暇な時間が多く、それなら英語でも勉強するかと思い、市のカルチャーセンターの英語講座に入った。アナとはそこで出会ったのである。
 アナは日本人が嫌いなのか、東洋人が嫌いなのか、それとも私個人を嫌いなのか、私にとてもつめたかった。アナの英語にはドイツ語なまりがあるし、私には日本語なまりがある。そのうえアナは流暢に話すので、私には理解がむずかしかった。話しかけてもほとんど無視されるという感じであった。アナはいつもクラスの中心だった。よくしゃべるし、ジョークもうまいし、ヨーロッパ人には魅力的なタイプなのかも知れない。
 クラスにひとり、フランス人の女性がいて、毎週末アナとドライヴに行っていた。その女性―アニックがある日、私を誘った。私はその日仕事がなかったので、一緒に行くことにした。アニックが運転し、後部座席に私とアナが乗った。アナはやはり私とは話さず、ずっとアニックとしゃべっていた。私も二人の会話に入りたいのだが、二人が何を話しているのかわからない。結局その日、私はほとんど黙っていることになってしまった。そのときから私は、私もアナを無視しておこう、そのほうが楽だと思った。

 

 キアラは魅力的だった。イタリアの女性で、途中からクラスに参加した。アナはすぐにキアラに興味を持ったようで、
「どんな本を読むの?」とまじめな質問をする。フランス人やイタリア人はいったいに私に親切だった。一度キアラが私の家をたずねてきたことがあるが、会話も途切れず、彼女とはうまくやれた。
 もうひとり、ドイツ人、マリアンがいた。デュッセルドルフ出身で、イギリス人のボーイフレンドと一緒に暮らすためにメイドストーンに来たという。私は彼女とは不思議な体験をした。彼女は英語があまりうまくなく、ドイツ語なまりがひどかった。ある日私がお茶を飲んでいると、マリアンが私の隣に座って、いろいろ日本のことをきいてきた。彼女は殊に日本の女性の社会的立場というものに興味があるらしかった。私がソフトウェアの大企業をやめてイギリスに来たことを話すと、なぜそんなに条件のよい職場をやめたのかとたずねる。そうやって二人で話していたのだが、そこに例のアナがとびこんできた。本を買ってきたという。ドイツに戻るまでにいろいろイギリスの本を買いたいと言い、私たちに見せ始めた。私はアナが会話に入ってきた時点で、アナはマリアンとしか話さないだろうと思ったし、マリアンもアナと会話を始めるだろうと思った。
ところがマリアンはアナをさえぎって、私に、
「で、さっきの話の続きだけど・・・・・・」とまた日本のことをきいてきたのだ。私はびっくりしてしまった。このひとは今、アナとしゃべりたいのではない、どんなになまりがつよくても、「私と」話したいのだということがわかったからだ。この体験はイギリスで、よくわからない言語と人々のなかで、四苦八苦していた私に自信をあたえてくれた。実に大きな自信を。

 

 そうやって冬が過ぎ、イギリスの美しい春がきて、やがて初夏になった。クラスはもう終了しかけていた。先生が、最後の授業は芝生のうえでお茶会にしましょうと言った。その最後の日、みなでワインなど飲みながら、もう会えないので、住所の交換などしていた。そのときアナが、
「みんな機会があったら、イースト・ジャーマニーに来てね」と言ったのだ。
私はガツンと頭をなぐられたような気がした。西ドイツ人ではなかったのだ。アナの最も多感な時期にベルリンの壁が崩れ(そのことをアナは・・・war・・・と言っていた)、西側の文化が東ドイツに入っていったこと、私はアナがいつもクラッシュのうたを歌っていたことを思い出した。私がクラッシュに対して想う気持ちとアナのそれは、どれほどちがうことだろう!どれほど彼女はクラッシュを待ちこがれていただろう。
私はさいごにアナとはじめてやさしい会話をかわした。その昼食会に私がつくっていった巻きずしを、アナがおいしいといってほめてくれ、
「私は日本食が好きよ」と言ったのだった。