Y _ 最後の警告 ザ・ポップ・グループ
私は多くのひとから反感を買うかもしれないが、被爆直後の広島の風景、廃墟となった原爆ドーム、焼けつくされた焦土、あの風景を美しいと思います。悪趣味の国、アメリカ合衆国のつくったものとしては、すぐれた作品の方だと思うのです。
私たちは、歴史上、世界で唯一の被爆国です。それなのになぜ世界という大舞台で、戦争や核といったテーマについて、大きな口をたたけないのでしょうか。それは私たちがあるひとつの私たちが犯した罪について、今だになにひとつ口にしていないということがあるでしょう。NHKはナチスについての番組を多く放送し、なかにはすぐれたものもたくさんあります。けれど、歴史上最悪のことをしでかしたのは、アドルフ・ヒットラーではないのです。誰がいちばんの悪者で、二番目は誰だなんていう議論はばかばかしいことです。けれど、私たちはヒットラーよりも多くの人々を虐殺した、そういう事実は厳然としてあります。この事実は世界では常識であるというのに、日本から一歩でも足をふみださないかぎり、私たちにこの事実を知る機会はあまりありません。今の日本が国連の常任理事国になりたいなんて、ちゃんちゃらおかしいことです。もちろん、ドイツも同様ですが・・・
ところでどうしてこのような話の展開になったのでしょうか。
それはある一枚のレコードに起因しています。79年に発表された、ザ・ポップ・グループの[ Y
」というレコードです。私はこのレコードを80年代半ば、レンタルレコード店から借りてきて聴き、ものすごい衝撃をうけました。けれども当時、私のレコードプレイヤーが故障していて、あまりきちんとした音で聴くことができなかったのです。このアルバムがCD化されているのなら、ぜひとも聴いてみたい、ずっとそう思い続けていましたが、結局最近になってようやく手に入れることができたのです。
私は近所のレコード店に足を運びました。対応してくれたのは、私とほぼ同年代の男性でした。私は大好きなルー・リードのアルバム、それからなつかしいザ・スペシャルズの、そしてこの「 Y
」についてたずねてみました。店員さんはパソコンで30分くらいかかってこの3枚のアルバムについてしらべてくれ、「絶版にはなっていない」と言いました。それからしばらくたったある日、「3枚ともありました」という電話がかかってきて、私は飛んでそれをうけとりに行ったのです。そしてやっぱり、この「 Y
」になによりもつよい衝撃をうけました。CDにはきちんとした歌詞カードがついています。けれども私はべつにそれを読んでみたいとは思わないのです。この音だけで充分です。これはほんとうに「破壊」と「そのあと」のレコードです。そして「そのあと」とは、私にとってまさにあの風景-被爆直後の広島―なのです。それでこのような文章の展開になってしまったというわけです。
80年代末のことですが、中国で天安門事件が起き、多くの若者たちが年寄りたちの手によって殺されました。世界中がこの事件に反発しました。そして日本のミュージシャンたちがこぞってあつまり、反・天安門事件の抗議ライヴなどしました。彼らは抗議にみちた詞を書き、それをうたいました。私はそのライヴの一部始終をみていました。そしておそろしく退屈しました。彼らが「抗議したい」その気持ちはわかります。けれどその気持ちは彼らの書いた下手クソな歌詞にしか乗っていないのです。つまりそれは抗議する「音楽」、ではなかったのです。音楽で、ライヴで、あの事件に抗議するというのなら、どうしてそれを「音で」あらわそうとしないのでしょう。そんなことなら道路にでも立って、一人でデモをしたほうが、直接的でより早い方法ではないのでしょうか。それなのに彼らは陳腐な曲のうえに先鋭的な詞を乗せて、激しくシャウトしまくるのです。それ以来、私は日本のロックに幻滅しました。
「 Y 」はこのことをつよく私に思いおこさせます。「 Y
」には力があり、そしてそれは美しい音楽です。美しい、破壊のレコードです。天安門事件で日本のミュージシャンにやれなかったことのすべてがこの一枚のなかにあります。すでにこれは、パンクなのかノイズなのか、ジャズなのか全くわかりません。このレコードにはそのようなカテゴライズするということすら忘れさせるパワーがあるのです。このレコードのまえで、私は無言になります。
破壊するという行為には、ある美しさが伴うものだと私は思います。創作は破壊です。そして破壊したあとには、「そのあと」がのこります。「そのあと」に責任を持てるものは無く、ただ放出されるのみです。しかしそこに美しさが生まれてくるかもしれません。





